オバサンの独り言

 ベルリンのヘルベルト・ホーヴァー実科学校(レアールシューレ)では、学校側と生徒、父母が話し合い、3者合意の下に、学校内では生徒全員がドイツ語で話すという規則を実施している。他の言語で話していると注意されるが、罰則はない。この学校では、全生徒370人の内の90%以上が外国人で、その多くがトルコ語とアラビア語を母国語としている。各クラスで 8〜10ヶ国語が話されているという。

 この規則ができるまでは、休み時間は同じ母国語の者同士に分かれてしまう ため、生徒間の交流もあまりなかったようだ。これは、インターナショナルスクールでも外国人のための語学学校でもなく、ドイツの普通の公立学校の現状である。ベルリンには、ドイツ人の生徒がほとんどいないような学校もあるらしい。

 ドイツ語力が十分でないために、卒業試験の成績が悪く、職業訓練の職場を見つけることができない生徒が多い。そこで、ドイツ語の授業を増やすとともに、校内ではドイツ語だけを話すようにしたのだという。「ドイツ語力が向上し、生徒間の交流も改善した」と、生徒たちもポジティブに評価している。この学校では、生徒の母国語が約40ヶ国語に及び、唯一の共通語がドイツ語である。連邦政府のべーマー同化専門委員は学校におけるドイツ語義務化を検討している。

 ところが、トルコ人団体やイスラム系団体、労働組合 、緑の党は、「ドイツ語強制は差別だ。人権侵害だ。」と激しく抗議しているという。しかし、これこそ本末転倒ではないだろうか。初めから同化する意志のない外国人の同化政策批判の典型のように思われる。

 この学校の生徒たちはドイツで育ち、将来もドイツに住み、就職し、生活していく若者たちである。ドイツ語はいわば生活の必需品である。しかし、家ではもちろんのこと、学校でも授業中以外はドイツ語を話さないのであれば、自主的に努力しない限り、高卒水準のドイツ語を習得するのは容易ではない。しかも、ドイツで育っている彼らの場合、母国語もドイツ語も中途半端になってしまう危険性が極めて高い。実際、トルコ語もドイツ語も日常会話程度しか習得していないトルコ人2世、3世が多いと聞く。

 学校におけるドイツ語強制が差別なのではなく、ドイツ語力不足が差別の原因になるのである。ドイツ語を習得し、西欧の価値観を学ぶことがイスラムないしアジアの文化を捨てることにはならない。他の文化を学んでこそ、自らの文化を再認識することができるのではないだろうか。                                                                                                          

 少子・高齢化と世界のグローバル化に伴い、外国人移民の同化が重大な社会問題になっている。移住先の国の宗教、文化、価値観を拒否しながら、自分の宗教、文化、価値観への寛容、尊重を要求し、同化政策を批判するのはお門違いである。民主主義における言論や報道、表現の自由、人権という価値観を尊重することなく、自らの宗教、価値観への寛容と敬意のみを一方的に要求するのでは、相互理解は成り立たない。一方通行の寛容性を求める外国人が多いことが同化を困難にしているのではないだろうか。

2006年2月7日)

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