オバサンの独り言

 

  朝から晩まで東京五輪エンブレム問題と中1男女殺害事件、安保法制問題を報道していた猛暑の日本からドイツに帰って来たら、こちらは難民問題一色だった。

    ドイツメディアは「強硬ハンガリーに対する非難」と「難民を迎え入れるドイツの「歓迎する文化」(Willkommenskultur)」のニュースばかり。毎日毎日テレビや新聞に映し出されるのは、難民と一緒に写真を撮るメルケル首相、ミュンヘン中央駅に到着した難民を暖かく迎えるボランティアの市民たち、それとは対照的に難民を厳しく取り締まるハンガリー警察、ハンガリー国境で泣き叫ぶ女性と子供たち・・・。

    しかし、国を挙げての一方的な報道を連日見せつけられていたら、「これって危険じゃない?」と懐疑心が湧いてきた。福島原発事故発生時のドイツメディアと同じではないかと感じたのである。

    そう、「なんでも人に教えたがり、なんでも自分の方がよく知っていると思っている、上から目線の「上級教諭(Oberlehrer)」のドイツ人」である。

    あのときもドイツメディアは他の意見を許さない一方的な報道だった。ヒステリー状態に陥っていた。そして、メルケル首相は急遽方向転換して脱原発を決定したのである。

    今回もドイツメディアは他の意見を許さない、善人と悪人を一方的に決めつける報道に終始していた。メルケル首相は事前にEU諸国の合意を得ることなく単独で方向転換し、ダブリン協定やシェンゲン協定を無視して、難民がドイツに入ることを許した。

    この独りよがりな政策転換のおかげで難民(自称難民も多数含まれている)が急増し、ハンガリー国境における混乱がますます悪化した。ハンガリーにしてみれば「とんだとばっちり」である。

    ところが、国境を開放したら、「歓迎の文化」だけでは対処仕切れず、お手上げ状態になってしまった。その独善的行動はEU諸国の支援を得られず、1週間後にはまたもやシェンゲン協定の「例外」を宣言して国境を閉ざす事態に追い込まれた。先見の明のない方向転換劇が続いている。

    ドイツにおける福島原発事故問題や難民問題の報道を見ていると、メディアの脅威を感じる。メディアがいかに世論を操作できるかを目の当たりにしているようだ。

    欧州諸国の報道に目を向けてみると、全く異なる状況が見えてくる。

    例えば、英国のBBCは国境の門を壊そうとしたり、警察に石を投げる多くの若者達も報道しているが、ドイツのニュースでは国境沿いで泣きながら逃げ回る女・子供しか映らない。

    操作された映像選択では、防盾に使われる子供たち、子供を抱えた女性たちの映像だけが前面に出て、アグレシブな若者達の映像はカットされている。実際には難民の約80%が若い男性なのに、少数であるはずの女性や子供ばかりが映されて、ジャーナリストが書きたいストーリーの道具として利用されている。

    また、英国メディアは流入する難民の多くが生命の危険のために逃げてきたのではなく、経済的理由でドイツへ行こうとしていることを指摘しているが、ドイツメディアは「難民」で一絡げにしている。ようやく最近になって、シリア人であれば難民と認められるのでパスポートを偽造する「自称シリア人」が多いという記事も見られるようになった。 

    スイスメディアは、「ドイツメディアは(距離を置いて批判的に見る)批判的距離を失い、報道がキャンペーンになってしまった」、「道徳的・感情的エクスタシー状態に高揚してしまった」と評価している。「現状に批判的距離を置くこと、正確な調査、不明確な事実関係の判断では慎重であること、背景を徹底的に調べること、様々な意見の公平な掲載、事実関係とそれが引きおこす問題の分析」、これらのジャーナリズムの原点をドイツメディアは忘れてしまったというのだ。

    私も同感である。「歓迎する文化」に自己陶酔し、感情移入で圧倒されてしまったという感じがする。

    全体的に、欧州諸国はドイツの独善的な難民政策を批判的に見ており、ドイツ人の「上級教諭」的国民性を嘲笑する論評が多い。

    しかし、ドイツ人も「歓迎する文化」のエクスタシー状態から少しずつ目覚め始めているようだ。これ以上難民が増えていったら、将来的にドイツの文化、経済力、社会保障を維持できるのか・・・、メディアに煽られていた市民も政治家も不安になり始めた。

    ナーレス連邦労働大臣によると、難民申請者を雇用市場に統合するのは容易ではないという。今後、失業率が再び上昇することを予測している。政治家と経済界は専門職者獲得を期待しているのであろうが、専門職として働ける十分な資格を有する人は10%に満たない。しかも難民の15%〜20%は文盲であると、連邦内務大臣が推定している。

    シュピーゲル誌の政治家人気度ランキングによると、メルケル首相がランクを下げ、メルケル首相の決定を最初に公に批判したバイエルン州首相ゼーホーファー氏がランクを上げたという。世論も変わり始めている。

    現実に戻されたドイツ人が習慣・文化・宗教・言語の異なる難民をどう受け入れようとしているのか。「歓迎する文化」が試される時がまもなくやってくる。すでに、難民を収容する施設や住宅の放火や嫌がらせがあちこちで起こっている。難民同士の暴力事件も表面化しており、民族・宗教別の収容が始まっている。

    メルケル首相は、健康保険カードも難民に無料で支給し、自由に医療サービスを受けられるようにすることを考えているようだが、彼女の言う「庇護に上限はない」政策をこれ以上進めれば、中東・アフリカ・アジアから自称難民が津波のように押し寄せて来ることだろう。他のEU諸国にしたら迷惑な話ではないか。

    ドイツは高度経済成長期に入ってきたトルコ人労働者の何世代にもわたる移民統合問題を既に経験済みである。「多文化主義は失敗した」と公言したメルケル首相は大規模な難民急増の後のドイツ社会をどのように展望しているのだろうか。

    「冷血」と言われるまでに常に冷静かつ理性的に判断してきたはずのリケジョのメルケル首相は「私たちにはできます」と胸を張ったが、結局のところ、重い責任を次の世代、次の次の世代・・・に先延ばししたのではあるまいか。

    規律と規制のない、感情的な近視眼的政策では今世紀の難民大移動を解決できないことは欧州が今まさに身を以て体験している。難民の急増がこれからのドイツ社会を大きく変えることだろう。

    メディアに操作されない「批判的な目」で見守っていきたいと思う。

 2015年9月28日)

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